« 巣箱発見。 | メイン | この世界が平和だった頃の写真です(4回目)。 »

 

August 21, 2011

廃墟萌え。

Category : EF50mm F1.4 USM | 構築物 / structure

Canon EOS 60D + Canon EF50mm F1.4 USM
□Canon EOS 60D + Canon EF50mm F1.4 USM
こちらへは何度も足を運んでいますが、遊郭の跡です。
取り上げるのは2回目ですね。
田町遊郭
田町。明治後期から昭和中葉にかけて繁盛した八王子唯一の遊郭。1897年(明治30)4月の大火によって、それまで横山町甲州街道沿いにあった遊郭が焼失、その後、現在の田町に移転、田町の遊郭として繁盛を極めた。明治末期には、西玉楼、武蔵楼、今萬楼、宏陽楼、桝萬楼、大萬楼、三崎楼、大川楼、大桝楼、但州楼、福萬楼、吉濱楼、徳萬楼等が軒をつらねていた。1958年(昭和33年)売春禁止法施行によって、60年にわたる田町遊郭の歴史を閉じた。
→飯盛女
(出典:八王子辞典の会『八王子事典』改訂版、かたくら書店、1991年、507頁)
飯盛女
江戸時代、街道の宿屋で給仕や雑用をつとめ、遊女ともなった女性のことをいう。1718年(享保3)宿場助成の一つとして、宿屋一軒に2名の飯盛女を抱えることを許可したが、人数は常にオーバーし、取り締まりの対象となった。八王子では宝暦年間(1751~1764年)に飯盛旅籠が公認許可され、飯盛女が登場。公には給仕女と認められていたが実質的には売女でもあった。宿場の繁栄にも一役買っていたことで取り締まりも充分できず、遊女同然にエスカレートしていったこともあり、1822年(文政5)には旅籠屋・飯盛女が検挙されたこともあったが、翌年には従来どおりの飯盛女が復活している。1824年(文政7)の文政の大火後、不振続きの四日場は振興策として、甲州街道に散在している飯盛旅籠を四日場(現・ダイエー一体)に集めた。飯盛女は次第に華美になり遊女化していった。明治初期には飯盛旅籠は貸座敷と名も改められ繁栄を誇ったが、1893年(明治26)に新万楼からの出火(新万火事)で遊女が焼死し、移転計画が検討された矢先、97年4月22日の明治大火が起こり、それを契機に浦田・新地(現・田町)に移転され、田町遊郭をつくった。この遊郭も1958年(昭和33年)売春禁止法施行により姿を消した。
(出典:八王子辞典の会『八王子事典』改訂版、かたくら書店、1991年、877-878頁)
と、再び引用しておいて、


Canon EOS 60D + Canon EF50mm F1.4 USM
□Canon EOS 60D + Canon EF50mm F1.4 USM
Canon EOS 60D + Canon EF50mm F1.4 USM
□Canon EOS 60D + Canon EF50mm F1.4 USM
続けちゃう?

コメント頂けたら幸甚です。

関連情報

EF35mm F2 スナップ写真感覚で狙った被写体を高画質に切り取ることができる広角単焦点レンズです。
EF50mm F1.8 II わずか130gという徹底した軽量・コンパクト化と高いコストパフォーマンスで、フットワークよく使える大口径・標準レンズです。
EF50mm F1.4 USM 標準レンズの定番、F1.4の大口径50mm。質量と描写性能、価格のバランスに優れた使い勝手の良い一本です。
EF100mm F2 USM 気軽に持ち運ぶことができ、風景撮影やスナップに活躍する大口径・中望遠レンズ。
EF300mm F4L IS USM 望遠レンズならではの魅力が存分に味わえる、コストパフォーマンスの高い300mm望遠レンズです。
EF400mm F5.6L USM 軽量・コンパクトできわめて高い機動力と、Lレンズならではの優れた高画質がひとつになった超望遠400mmレンズ。

« 巣箱発見。 | メイン | この世界が平和だった頃の写真です(4回目)。 »

カレンダー

2016年09月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

その他の有象無象


人気blogランキングへ
ポチっとなぁ~♪

にほんブログ村 写真ブログへ
こちらもポチっと♪♪


このブログのフィードを取得
Atom | RDF | RSS 2.0